孤独で寂しいと感じたときの解消法とは?ヒントとなる本を紹介

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孤独を感じることは誰しもあると思います。

例えば、

  • 大学生になりたてで友達が少ない。
  • 独身で一人暮らしの部屋に帰っても話し相手がいなくて寂しい。
  • これといった趣味や楽しみがなく、何をしても虚しい。

など。

人によっては死にそうなほどに、耐えられないほどに苦しく、胸が痛い問題かもしれません。そういった時に解消のヒントとなるかもしれない本があります。

 

 

それがドイツ人哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの「幸福について」です。以下では、この本のうち、主に孤独感と関係する部分について確認していきましょう。

 

一番重要なポイントは

真に心が豊かな人は孤独を愛し、心が貧しい人ほど他者を求める

というところです。

 

なお複数の出版社から翻訳が出されていますが、今回の記事は「光文社古典新訳文庫」をもとに執筆しています。

 

目次

 

【他の人と交わるより自分自身に満足する方が大切】

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「幸福について」はショーペンハウアーが1851年に発表した「余録と補遺」という著作を訳出したものです(「幸福について」という原著がある訳ではありません)。全六章で構成され、人生を出来る陰り快適に幸せに過ごせる方法について記されています。

 

名誉や他者の評価、困難な人生への向き合い方なども説いていますが、今回は孤独感と関係する部分について確認していきましょう。

 

「幸福について」の第二章『「その人は何者であるか」について』では、「その人が何者であるか」が、はるかにその人の幸福に寄与すると述べた上で、次のように語っています。

 

それどころか偉大なる知者は孤独を選ぶだろう。というのも、その人自身に常に備わっているものが多ければ多いほど、外部のものをますます必要としなくなり、他者はますます重きをなさなくなるからである。それゆえ卓越した精神の持ち主は非社交的になる。

中略

これに対してもうひとつの極点に立つ人間は、困苦からほっと一息つけるようになると、是が非でも気晴らしや社交を求めなによりもまず自分から逃れたい一心で、どんなものにも、たやすく甘んじる。

幸福について (光文社古典新訳文庫) p42

 

「幸福について」では、上記のような「孤独を好む知者」と「他者を求める凡人」という関係がたびたび現れます。精神が豊かな人を知者、そうでない人を凡人と表現しています。

なぜ知者は孤独を選ぶのでしょうか?

上記の引用文でも触れられていますが、主な理由は二つあります。

 

  1. 「その人自身に常に備わっているもの」以外は、流動的で常に移り変わるものだから
  2. 自分自身に満足すれば他者を必要としなくなるから

 

順番に詳しく見てみましょう。

 

【自分の外にあるものは絶えず移り変わっていく】

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自分自身に備わっているものを重要視するという考えは第一章冒頭から語られています。ショーペンハウアーアリストテレスの考えを受け継ぎ人生における三つの財宝を以下のように記しています。

 

一:その人は何者であるか。すなわち最も広義における人品、人柄、個性、人間性である。したがってここには健康、力、美、気質、徳性、知性、そして、それらを磨くことがふくまれる

二:その人は何を持っているのか。あらゆる意味における所有物と財産

三:その人はいかなるイメージ、表象・印象を与えるか、実質的には他者の評価であり、名誉と地位と名声に分かれる

幸福について (光文社古典新訳文庫) p12

 

ショーペンハウアーはこの三つの財宝の内、一番目の「その人は何者であるか」を人生の幸福において最も重視しています。

 

「二」の所有物と財産は、銀行の預金やマイホーム。「三」の名誉や地位は、会社での昇進や他の人から褒められるといったことです。こういった「二」「三」の要素は、不確かなものだとショーペンハウアーは述べています。

 

すなわち幸福と享楽のあらゆる外的源泉は、その性質上、きわめて不確かであてにならず、はかなく偶然に左右され、どんなに有利な状況にあっても、たちまち滞ることがあるそれどころか、これらの外的源泉が常に手元にあるのでないかぎり、こうした事態は避けがたい。

 

高齢になればこれらの源泉は、当然ほとんど全て涸れてしまうすなわち、寄る年波には勝てず、色恋沙汰も冗談も乗馬の楽しみも消え失せ、社交に向かなくなり、そのうえ友人や親類まで死神にさらわれてしまう。

 

その人自身が常にそなえているものが、いよいよ大切になってくる。これが最も長持ちする。その人自身が常に備えているものこそ、年齢の如何にかかわらず、幸福の真の源泉、唯一の永続的な源泉であり続ける。

幸福について (光文社古典新訳文庫) p48

 

具体的な外的源泉としては、お金や美味しいものを食べること、性的欲求の満足などがあるでしょう。しかしそういったものは、ちょっとした原因ですぐ自分の手元から離れてしまいます。

 

例えば病気になれば、医療費のために貯金はどんどん無くなり、内臓を悪くすれば好きなものを食べられないかもしれません。年をとれば若いときほど、性的満足は得られないでしょう。

 

こういった外的源泉には他者との交流も含まれます。友人や家族といった他者も不確かなものです。事故や病気、その他の理由で突然離れ離れになることもあります。それ加え、ショーペンハウアーはそもそも自分以外の他人と真に分かり合うことは難しいと述べています。

 

【そもそも他者と真の調和をすることはできない】

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孤独や寂しさを解消したくて、実際に誰かと会ったり、話したりしてみても、

中々噛み合わなかったり、期待通りの結果にいかないことはよくあると思います。

こういった悩みに対し、ショーペンハウアー第五章の「B.自分自身に対する態度について」で、以下のように述べています。

 

およそ人付き合いなるものは、必然的に互いに同調し、節度を守ることを要求するしたがってその範囲が広ければ広いほど味気ないものになる。だれもが完全に「自分自身である」ことが許されるのは、独りでいるときだけだ。自由でいられるのは独りでいるときだけなのだから、孤独を愛さない人は、自由をも愛さない人なのだろう。

幸福について (光文社古典新訳文庫) p221

 

上流社会では他人と食い違わないように萎縮し、おのれをまげることを余儀なくされる。機知にあふれる弁舌や着想は、機知にあふれる人々の集いにのみふさわしく、凡人の集いでは完全に嫌われる。凡人の集いで好かれるためには、平凡で偏狭な人間であることが必要不可欠なのだ。だからこうした集いでは、他の連中と似たり寄ったりの人間になるために、著しく自己を否定し、おのれの四分の三を捨てなければならない。その代わり、そうすれば他の人たちのお仲間になれる。

幸福について (光文社古典新訳文庫) p224

 

人間が社交的になるのは、孤独に耐えられないからであり、孤独のなかの自分自身に耐えられないからだ。内面の空疎さと倦怠が社交や異郷、旅へと駆り立てるたえず外部からの刺激が必要になる。

幸福について (光文社古典新訳文庫) p227

 

他者との交流を試みても、相手に合わせて節度を守ったり、相手のレベルに応じて自分のレベルを落とし、相手に同調することを要求される。そんな状況では真に自由であることはできない。それでも他者を求める人は、内面が貧相である証だと述べられています。

 

【孤独は悪ではなく最も愛すべき宝である】

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ショーペンハウアーの、社交界を嫌い、自身の内面を重視する思想は次の一文によく現れています。

 

自分自身のうちに社交を必要としないほど多くをそなえているのは、たいそう幸せなことだ。なぜなら私たちの苦悩のほとんど全てが社交から生じるものであり、健康に次いで、もっとも本質的な幸福の要素である心の安らぎは、社交によって危うくされるため、著しく孤独でなければ、心安らかであり続けることができないからである。
早くから孤独に馴染み、孤独を愛するようになった人は、金鉱を手に入れたようなものだ。

幸福について (光文社古典新訳文庫) p230

 

寂しさのために他人と群れ、群れた先でさらに傷つくよりも、自分の内面を深め、孤独を愛すること。それがこそが最も重要な宝なのです。

 

気になったのですが、自己に満足するとは言いますが具体的には何をすればいいのでしょうか。

それは学問や芸術、スポーツなど人によって様々だと思いますが、ショーペンハウアーが第二章で述べているところによれば、知的生活と呼ばれているものです。

 

圧倒的な精神的能力に恵まれた人は考えが溢れてきて、一貫して溌剌とした有意義な生活を送る。学びたい、研究したい、錬磨したいという欲望、したがって自由な閑暇を求める欲望が多い。

中略

世の常の人々は、この味気なく空疎で悲しみに満ちた日々の生活そのものを目的とせざるを得ないのに対し、彼にとってこの第二の知的生活がしだいに本来の目的となり、第一の身辺にまつわる実生活は単なる手段に思えてくる。彼は主としてこの知的生活に没頭することにより、洞察と認識はたえず豊かさを増す。

幸福について (光文社古典新訳文庫)p56~57

 

人によって目指すべきところが違いますが、少なくとも官能的な楽しみ、いわゆる食べ物の消費や性欲といった肉体的な幸せだけを目的としたものではありませんこの辺りは実際に「幸福について」の書籍をお手にとってご確認されるとよいでしょう。

 

誰かと遊ぶより、自分自身に満足することが一番幸福ということみたいですね。

ショーペンハウアーの考えとしては、そういうことです。

でも、やっぱり寂しい気がします。誰とも会わず、ずーっと一人なんて私に耐えられるでしょうか。

まあ言葉で説明されても、実際に全く孤独で過ごすのは中々難しいかもしれません。萩原朔太郎によればショーペンハウアー自身も、夜は誰かと会話をしていたといいます。あくまで一つの考えという受け止めでいいかもしれません。

 

【まとめ:孤独を感じたときは自分自身と向き合うチャンス】

孤独を感じることは誰しもあるでしょう。それでも寂しさを紛らわすため、自分の外にあるものに期待しても裏切られてしまうかもしれません。

 

ショーペンハウアーによれば、交流を求めるのは自己の精神が未成熟な証であり、真に豊かな精神の持ち主は自己に満足すると述べています。

 

孤独を感じたときは、むしろその孤独を愛するのも一つの手かもしれません。