死ぬのが怖いときに読みたい本5選。いかに死と向きあうべきか

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「死ぬのが怖い」という瞬間は、多かれ少なかれ大抵の人に訪れると思います。

 

「人間はいつか死ぬ」。この事実は誰しもが理解していますが、いざ死ぬことを考えると、覚悟ができなかったり、怖くてたまらないと感覚が生まれてくると思います。

 

しかし死は普遍的な問題であり、過去にも多くの作家や哲学者がテーマに掲げてきました。もし死について悩んでいるなら、過去の知識人が残した書物を参考にすれば少しは解決の糸口が見えてくるかもしれません。今回は「死ぬのが怖い」という問題の対処につながりそうな本を五冊ご紹介します。

 

 

ブッダ 真理のことば NHK「100分de名著」ブックス

仏教はインドを発祥とする世界三大宗教であり、中国や日本にも広く浸透しています。
仏教において重要視されるのが「この世の真理」を認識すること。


その際に登場するキーワードが「生きることは苦である(一切皆苦)」です。
これはこの世は思い通りにならない苦しみに満ちた世界であるという考え。
老、病、死といった現象は人間である以上絶対に避けられない不幸であり、生きることは苦しみを背負って毎日を生きるということです。
この事実を受け入れようとせず、「いつまでも健康でいたい」とか「永遠に生きたい」といった幻想を抱くと、思い通りにならないため余計に苦しみが増してしまいます。

仏教では苦しみの原因を病や老といった外的な現象ではなく人の心の中にあると考えます。人の心に苦しみが生まれる原因は、心の中にある悪い要素「煩悩」が存在するからであり、煩悩の中でも一番大きいものが「無明(むみょう)」であるとされています。

無明というのは「智慧(明)」がないこと。
つまり「この世で起こっているものごとを正しくとらえる力がない」ということを指しています。この世の真理を正しく捉えず、自分に都合の良いように捻じ曲げてしまうと苦しみが生じるのです。

本書ではこういった仏教の基本的概念について非常に分かりやすくまとめられており大変オススメです。

 

生誕の災厄 新装版

死という事実を受け入れずに捻じ曲げてしまうと苦しみが生じる。この点を学ぶには、ルーマニアの思想家である「エミール・M・シオラン」が発表した「生誕の災厄」も有益です。

本書は反出生主義のアフォリズムであり、生きることの苦悩を綴った言葉が270ページ近く並んでいます。反出生主義と聞くと怖いイメージを持たれるかもしれません。
しかし本書を読んでも自殺したくなったり、反出生主義を他人押し付けるような思考になったりする訳ではなく、むしろ生きる意味であったり、死の怖れに対し真剣に向き合う気持ちにさせてくれたりします。

全12章にわたって格言が並んでおり、以下一つだけ引用いたします。

ノルマンディのとある村で、葬式が行われている。
遠くのほうから葬列を眺めていたひとりの農夫に、事情を聞いてみる。
「まだ若くてなあ。やっと六十かそこらだろうよ。
畑で死んでたんだがね。どうにも仕様がないよ。
そんなものさ・・・そんなものさ・・そんなものさ・・・」
このリフレインは、そのときは滑稽に思えたが、あとになって心に執拗につきまとった。あの好人物の農夫は、死について人間が語りうることをすべて、知っていることをすべて、自分が語ったのだと気づいてはいなかったろう。

『生誕の災厄 第Ⅵ章 p125』紀伊國屋書店(1976)

命、人生のはかなさと現実を語った文章として個人的にとても好みです。もし他の格言も確認してみたいと思った方は、ぜひ本書をご購入ください。章ごとの繋がりどころか、ページごとの繋がりも一切ないため、好きなページを開いて、たまたま目に付いた言葉を読むという使い方もできるのでゆっくり気長に読むことができます。

 

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか

本書は終末医療に関する問題点と、末期がん等の重い病気にかかった患者が残りの人生をどのように過ごすのかということに主眼が置かれています。著者は医師であり、「ニューヨーカー」誌の医学・科学部門のライターでもあるアトゥール・ガワンデ氏。

医療技術の発達により、現代は人類史上最も長生きできる時代を迎えています。
寿命が伸びるのは素晴らしいことですが、一方で不治の病に陥った患者に対しても延命治療を行っているという現実があります。治療を行わない場合に比べ患者は多少長生きできるかもしれませんが、その分痛みや薬の副作用に苦しんだり、ずっと病院にいることで残りの人生の自由を奪われてしまいます。延命治療を行えば行うほど、家族にも高額な医療費という負担がかかり続けてしまう。

治療不可能な病気になり、自分の命が残りわずかだと自覚したとき、患者にはどういう生き方が残されているのか。
病院のベッドで一日の大半を寝たままで過ごし薬物治療を続けるのか、余命が短くなるのは覚悟の上で残りの人生を家族と共に自宅で過ごすのか。

重い病気にかかり、死が目前に迫った人やその家族を取材対象としている本書を読めば、漠然と「死ぬのが怖い」と感じている方々にも、人生をいかに生きるべきかというヒントが見つかるかもしれません。

 

イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ 

イワン・イリイチの死」は死が間際に迫った人間の心情を恐ろしいほどリアルに描写している小説です。
著者は「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」等で知られるロシアの文豪トルストイ
順調に出世街道を進んでいた控訴院判事のイワン・イリイチ
ある出来事をきっかけに内臓系の病気にかかり、医者にも手が負えない状態になってしまいます。そして病気になった後のイワン・イリイチの心情は、大変な迫力をもって読者に迫ってきます。

例えば以下のような文。

そんな意識を抱き、おまけに肉体の痛みと、さらには恐怖をも感じながら、寝台に横たわり、しばしば痛みのために夜の大半を眠らずに過ごさなけれならない。
そして朝になればまた起き上がって、服を着て、裁判所に出かけて、しゃべったり書いたりし、あるいは出掛けずに家にいたとしても、同じく一日二十四時間を過ごさなければならないのだ、その一時間一時間が彼には拷問であった。
そしてこんなふうに死の淵に追いやられながら、誰一人分かってくれる人も慰めてくれる人もなく、ひとりぼっちで生きていかなくてはならないのだった。

『 イワン・イリイチの死 第4章 p75』光文社古典新訳文庫(2006)

病気にかかって以降の展開はこのような苦しみに満ちた場面が続きます。
イワン・イリイチと同じく病や死について考えたことがある方は共感できる表現も多いと思います。
しかし最終的にイワン・イリイチは一つの光を見ます。それがどのようなものであるかは、ぜひ本書を手にとって確かめてみてください。全ての方がこの作品を読んで安心感を得られるかは分かりません。ただ死を間近にした人物が最終的にどのような結論を得たのかということについて一つの参考にはなると思います。

 

夜と霧 新版

本書は世界的なロングセラーであるため、名前を聞いたことがある方も多いでしょう。
ドイツの心理学者であったヴィクトール・E・フランクルが第二次大戦下の強制収容所へ収監された際の記録を記しています。いつ死ぬか分からない、永遠に解放されないかもしれない収容所という絶望的な状況の中で、人はいかに生きるのか。
「生きる意味・目的」「人の死と生」等について示唆に富む内容を含んでいます。

例えば以下の一文。

人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、
たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、
人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例は
あったということを証明するには十分だ。
『夜と霧 p110』みすず書房(2002)

第二次大戦下の強制収容所は現代では考えられないほど、死が間近にある環境だったはずです。昨日まで普通に会話をしていた収容者が今日になっていきなりガス室送りになる。看守の機嫌を損ねればすぐに自分も殺される。極限まで食料が削られた状態で過酷な肉体労働をさせられる。

しかしそんな過酷な状況にあっても「どう生きるかは自分で決められる」というフランクルの言葉。
「死ぬのが怖い」以外にも、人生で直面する様々な問題に応用できそうな考えかもしれません。本書は今まで紹介した本の中で最も万人にオススメできる一冊です。どんな人にも何かしら必ず得るものがあると思います。